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プレゼンスがないなら、耳と目を閉じ口を噤んで顧客に貢献しろ

10/23 08:23 2026

10/23 11:00 2026

パランティアCEOのアレックス・カープがニコラス・ザミスカと書いた「The Technological Republic」を読んで、プレゼンスのない自分がどれだけ守られているかを考えさせられた。

AI時代になり、エンジニアが開発環境に求める水準は年々上がっている。エンジニアなら、一度はこんなことを思ったことがあるのではないだろうか。

  • モダンな開発環境で働きたい
  • エンジニアリングに集中したい
  • 顧客端末ではなく、使い慣れた端末で開発したい
  • Macで開発したい
  • 管理者権限のある端末で作業したい
  • 生成AIを使って開発したい
  • GitHubでコードを管理したい
  • デプロイは自動化したい
  • テストコードを書く時間がほしい
  • 新しい技術スタックに触れたい
  • 設計書はExcel方眼紙ではなくMarkdownで書きたい
  • エビデンスのスクショ貼り付けは減らしたい
  • フルリモートで働きたい
  • 会議や報告資料を減らしてほしい
  • 保守や運用より新規開発に携わりたい
  • 見積もりや工数管理より開発に時間を使いたい

どれも気持ちはよくわかるし、自分も同じように思うことはある。このうち何を譲れて何を譲れないかは、人によって違う。それを選べるのは働く自由であり、就職活動で職場を選ぶときのポイントにもなる。自分の場合は、生成AIを使えるかどうかを特に重視している。

先に断っておくと、これは誰かに向けた説教ではない。自分にはまだプレゼンスがない。だからこそ、自分がどれだけ守られているかを忘れて主張しすぎないよう、自戒を込めて書いている。

相手がエンタープライズ企業なら、セキュリティや社内規程の都合でどうにもならない部分も多い。そうした制約にも理由がある。最近では、ARTEXのようなAIエージェント型の攻撃ツールが日本企業への攻撃に悪用されていることが報告され、標的となった企業の中には実際に情報漏えいを公表したところもある1。サプライチェーン攻撃のリスクを考えれば、顧客がなぜ自社端末の利用を求めるのか、少し想像してみてもいいはずだ。

それに、顧客端末の利用は、個人のモラルに頼らずにデータを守るための仕組みでもある。どれだけ気をつけていても、手元の端末にデータが残るリスクはゼロにはできない。そう考えると、こうした制約は自分たちエンジニアを守ってくれているとも言える。

理由があるのはセキュリティの話だけではない。嫌われがちなExcel方眼紙の設計書も、実際には非常に便利だ。シートで分けて整理できるし、マクロも使える。数式で計算の根拠を示せるので、非エンジニアにも説明しやすい。ただ、AIで編集するにはまだ厳しいのが惜しいところだ。

もう一つ忘れたくないのは、その仕事がどうやって取れたのかということだ。会社の仕組みやマーケ、そして自分よりずっとプレゼンスの高いプリセールスエンジニアや営業の力があってこそ取れた仕事だ。その裏には、何年もかけて顧客との信頼関係を築いてきた先輩たちの積み重ねもある。そうした人たちへのリスペクトを忘れて、「つまらない仕事だ」「技術的に面白くない」で仕事を判断していい時代なのだろうか。

冒頭で触れた「The Technological Republic」は、シリコンバレーとそこで働くエンジニアのあり方を問い直す本で、特に次の一節が刺さった2。

They exist in a cultural space that enjoys the protection of the American security umbrella but are responsible for none of its costs.

(訳)彼らはアメリカの安全保障の傘に守られた文化圏で暮らしながら、そのコストを一切負担していない。

The most talented minds in the country and the world have for the most part retreated from the often messy and controversial work that is most vital and significant to our collective welfare and defense.

(訳)この国と世界で最も優秀な頭脳の多くは、私たちの福祉と防衛にとって最も重要で意義のある仕事、往々にして泥臭く議論を呼ぶ仕事から身を引いてしまった。

国防の文脈で書かれた言葉だが、読みながら自分のことを言われているようで耳が痛かった。自分もまた、会社の看板や、誰かが取ってきた契約という傘に守られている。その傘を維持するコストに、どれだけ目を向けてきただろうか。泥臭い仕事を避ければ、そのぶん誰かがそれを引き受けることになる。

とはいえ、何でも黙って受け入れろという話でもない。生成AIが一切使えない、常に常駐が必要といった条件は、案件によっては生産性や品質に影響することもある。顧客にとってもメリットがあるなら、話し合う余地はある。

ただ、それを顧客と合意するのは個人ではなく会社の役割だ。契約やセキュリティ要件の調整は、営業やPM、そして会社としての信頼があってはじめて進む。現場で不満を言い続けても条件は変わらない。変えたいなら、まずは社内で相談し、顧客にとってのメリットとあわせて提案するほうがいい。さらに視座を上げるなら、その提案が上司の成果や出世にもつながる形になっているかまで考えたい。そしてその声を聞いてもらうには、プレゼンスが要る。

タイトルは、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の笑い男のマークに描かれた一文から借りた。元はサリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」の一節だ。

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes

(訳)僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ

作中で笑い男は、この一文に「or should I?」と書き加えている3。

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes or should I?

(訳)僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ。だが、ならざるべきか?

耳と目を閉じ、口を噤んで顧客に貢献する。プレゼンスのない今の自分には、それが必要な場面も多い。ただ、ずっと黙っていればいいわけでもない。主張すべきことは主張し、引き受けるべきことは引き受ける。「要はバランス」で片付けるつもりはない。ただ、何かを主張する前に、それが極端に自分側に寄っていないかは3秒くらい考えたい。

それでも、臨界点を超えることはあると思う。そのときは、不満を言い続けて周りを巻き込むより、きっぱり環境を変えるほうが誠実だ。

ただ、その選択肢もいつまで残っているかはわからない。AIでソフトウェアを作るコストが下がり続けるなか、ソフトウェアを作るだけでお金を稼げる時代は、いつまで続くのだろうか。顧客が「AIで作れば安くできるのでは」と考えるようになれば、仕事を取ってくるプリセールスや営業の難易度はどんどん上がっていく。作るだけではない価値をどう示すかは、エンジニアにとっても他人事ではない。エンジニアが職場を選べる今の状況も、当たり前ではないのかもしれない。

この話をすると、たまに「仕事がなくなるなら、遊んで暮らせていいじゃないか」と言われる。だが、そう簡単にはいかないと思う。AIが生む富は、一部の企業に集中しやすい。

AnthropicのCEOであるダリオ・アモデイは、エッセイ「The Adolescence of Technology」で、AIによる雇用の置き換えと並んで、経済力の集中を懸念として挙げている4。

The thing to worry about is a level of wealth concentration that will break society.

(訳)心配すべきは、社会を壊してしまうほどの富の集中だ。

But another kind of disempowerment can occur if there is such a huge concentration of wealth that a small group of people effectively controls government policy with their influence, and ordinary citizens have no influence because they lack economic leverage.

(訳)富があまりに集中すると、別の形の無力化も起こりうる。少数の人々がその影響力で政策を事実上左右し、経済的な交渉力を持たない一般市民は影響力を失ってしまう。

ビル・ゲイツも、Gates Notesで公開したエッセイでこう書いている5。

AI will either be the greatest equalizer ever invented, or the worst source of injustice.

(訳)AIは、史上最大の平等化装置になるか、最悪の不公正の源になるかのどちらかだ。

仕事がなくなれば遊んで暮らせる、のではない。経済の中で必要とされなくなれば、声を上げる力そのものを失う。

だからこそ今は、AIを使える環境に身を置き、それを活かした顧客支援を続けていきたい。それがお金にならなくなったときが、時代が本当に変わった合図なのだと思う。冒頭で生成AIを特に重視していると書いたのは、そういう理由もある。ただ、それを現場で不満として言い続けるつもりはない。使える範囲を広げるために何ができるかを考えつつ、最終的には自分がどこに身を置くかの選択として向き合いたい。

以前、社長がこんなことを話していた。キャリアのことも、ほかのことも、気になることはいろいろあると思う。それでも、業務時間中は顧客に向き合いましょう、と。いまの自分には、この言葉がいちばんしっくりくる。

だから業務時間中は、自分がどれだけ守られているかを忘れずに、目の前の顧客に向き合って信頼を積んでいきたい。いつか声を上げるべきときに、ちゃんと聞いてもらえるように。

脚注
  1. GMOサイバーセキュリティ byイエラエの2026年10月19日の発表。攻撃元インフラの1台で日本企業約20社が標的になっており、そのうち8社が同年9〜10月に情報漏えいを公表していた。解説記事(ロケットボーイズ)。 ↩︎

  2. Alexander C. Karp, Nicholas W. Zamiska「The Technological Republic: Hard Power, Soft Belief, and the Future of the West」(2025年)Part I 第1章「Lost Valley」。 ↩︎

  3. 「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」第11話「亜成虫の森で」。笑い男が授産施設のロッカーに残した落書きに、この一文が書かれている。 ↩︎

  4. Dario Amodei「The Adolescence of Technology」。2026年1月公開。 ↩︎

  5. ビル・ゲイツが2026年8月26日にGates Notesで公開したエッセイ。Fox Businessの記事より。 ↩︎